Friday, August 12, 2016

薬剤師は公共の利益のための存在となれるか


過日、薬をもらうために近所の診療所を受診した。私は生まれつきの皮膚病を抱えていて、普段はあまり問題にならないのだが30度を越えてくる東京の夏にはつらくなってくる。そんなわけで処方箋をもらって薬局に行った。すると薬剤師が「XXX(ブランド薬の名前)とジェネリックのどちらにしますか?」と聞いてくるではないか。「どちらでもいいですよ。」薬剤師がどのように反応するのか見てみようと思ってそう答えたが、そうしたらなんとブランド薬が出てきた。ジェネリック薬よりわずかに高いが、そうは言ってもそんなにお高くつくものではない(言っても抗真菌薬の塗り薬だ)。今の日本のルールでは、医師はジェネリックではなくブランド薬を処方することができるが、多くの場合では薬局でジェネリックにスイッチすることができる。そして薬剤師に対しては、一定割合以上のジェネリック処方によって加算が付くというインセンティブがつけられている。これによって、患者が薬理学的には同等でありながら価格が安い薬剤にスイッチすることを促し、ひいては我が国の保険財政を維持しようとしているのである。

だが、残念ながら実際にはそれがここでは機能してはいなかった。この制度には薬局が通れる抜け穴があり、保険財政を守るための機能を十分に果たしているとはいえない。すなわち、一度目標を設定してしまえば、薬局はその目標を達成するまではジェネリック処方に向けて努力をするが、達成した時点でその努力をやめてしまうということである。あるいは、目標値は絶対に達成できないと分かれば、やはりそれをやめるだろう。その場合には、マージンが大きくなる可能性が高いブランド薬を処方する動機が高まる。そしてその考え方がここで実際に起こったことをよく説明している。

こういう政策誘導というのはうまく機能させることも難しい。私などは実際に政策をうまくデザインすることだけによってのみ行動を変容させることができるとは思わない。何というか、良心あるいは職業倫理のようなある種の思い込みがそこにあることも必要ではないか。そうでなければ人々は何とかして抜け穴を探そうとするだろう。国民全員の行動をコントロールできるような、完璧なシステムなどは存在しないのである。

こういういわば思い込みの例というのはいくらでもある。例えば、申し訳ないが私は選挙に行ったことはない。誤解のないようにしておきたいが、私は概念的なレベルではなるべく多くの国民が選挙に行き、投票権を行使して自分の支持する候補者若しくは政党を選ぶということをやった方がいいと思っている。なぜなら、民主主義とはそういうものだからだ。国家は「誰か」ではなく「みんな」のために運営されなければならない。私は友人には選挙に行くことを勧める。私は健康な民主主義による利益を享受していることを知っているからであり、これは利己的な判断である。

一方、私自身は投票しない。理由は二つ。選挙の結果は私によって外的要因であり、自分でコントロール出来ないからである。そしてもう一つの理由は、機会損失が大きすぎてそんなものに時間をかけられないからである。合わせると、私は自分にとってどうにもならないものに自分の貴重な時間を使うほどの余裕がないのである。そして、私の余談の無い、冷静な思考によれば、この経済的状況は私以外の日本人全員に当てはまるはずだ。したがって民主主義においては、合理的な国民は選挙に行くべきでないという矛盾した結論を導くことになってしまう。

にもかかわらず、人々は投票に行く。なぜか。私の考えでは、人々は国民が投票に行くことは義務であるとする思い込みに取りつかれているのである。しかし、よく考えると我々が選挙権をもって投票するということは義務ではない。投票に行かないことによって罰せられるということはないし、投票に行かないという自由を認めるのも民主主義の一態様である(和訳版追記:世界には投票しないことに罰則を設けている国もある)。

なぜ投票することが義務でないかというと、我々は日本に生まれてくることを選ばなかったからである。もう少し詳しく話すと、もしあなた生まれる前に、神様がやってきて、どの国に生まれたいかという希望を取り、選択肢となりうる国に関するあらゆる情報を提供し(税率、マクロ経済指標、女性の権利保護の状況などなど)、あなたがそれらの情報をよく斟酌し、それぞれの選択肢のトレードオフを正しく理解した上で、あなたがある国に生まれてくることを選択したのであれば、あなたは当然に定められた税率で税金を払い、女性の権利を尊重し(あるいは生まれてきた国によってはそれほど尊重せず)、そして投票する義務がある。繰り返すが、それはあなたが選んだからである。(和訳版追記:つまり、そうでない場合は、憲法学などでは納税の「義務」という表現を用いているが、これは国家権力によって「押し付けられている」だけであり、自発的な義務であるとは言えない。ではなぜ我々は納税するのか。それは納税しなければ刑罰というより大きな不利益が発生するためである。言い換えれば我々は合理的な行動として納税しているのである。したがって、刑罰がない場合には投票しないというのも合理的な行動である)

しかし、重要なことは、このような状況にもかかわらず国民は投票し、投票は義務だと思いこんでいるのである。これは、言ってしまえば非常に興味深い現象であるが、このことが示しているのは、人が非合理的な行動をすることを誘導することができる場合があるということである。ということであれば、医師や薬剤師の中に思い込みを形成することによって、自らにとっては不利益的であっても公共にとっては利益的であるような行動をとるような調整をすることができるようになる可能性があることになる。もちろん、ここで重要なのは教育と訓練である。ジェネリック薬が処方できるときに敢えてブランド薬を処方するなどというごときは、自分たちに対して掛け値なしに先行投資してくれた社会に対する罪深い裏切り行為であるという考え方を、医師や薬剤師が持つように教育・訓練すべきである。もちろん直ちに効果を発揮するわけではないが、しかし、低予算で効果が期待できる政策ではないだろうか。

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