Saturday, December 3, 2016

未婚であることのトレードオフ

土曜の昼下がり、代々木上原の駅ビルに入っている中華料理屋「梅蘭」で一人で昼食を取ることにした。店に入り、一人であることを告げると、店員に案内されたのは長いソファーに向かって小さなテーブルがたくさん並んでいる席で、反対側には椅子があるものの混んでいなければ一人用の席として用意されていると言っていい席である。

周りを見渡してみると、少なくとも私と同じか、年上のお一人様ばかりがその一人用のテーブルに並んでいる。それどころか店の中はほとんどが一人できている客である。男女比は4:6で女性が多いか。なんだかある意味凄惨な眺めである。自分を棚に上げて思う。この人たちはいったいどういう理由で一人で土曜日の昼食を一人で中華料理店で取らなければならないのであろうか。家族はどうしたのか。そもそも普段は何をしているのだろう。

そのようなことを考えていると、隣の60代と思われる男性が帰り際に(案の定)店員に文句を言い始めた。「餃子のたれの量が多すぎる。餃子は二切れしか来ていないのに、これじゃあ日本人の感覚から言うともったいないんだよ。四切れならこの量で良いけど、これじゃあ多すぎる。いや、いおいしいよ。おいしいから言うんだよ。」これを横で聞いていて、私はますます陰鬱な気分になった。きっと本人に悪気はない。恐らく店のためを思って言っているのだろうが、それによってオペレーションに何らかの変更が加わるはずもないし、それでも店員はぺこぺこして謝りながら聞いている。ここでは双方に悪意はない(強いて言えば男性は罪のない自己顕示欲を発露させているのが未必の故意に近いかもしれない)。にもかかわらず、こういう不幸なことが起こって、店員も男性も、そして何より隣で聞いている私も少しずつ不幸になっている。こういう現象をミクロ経済学では負の外部性negative externalityという。

ここでは思い切って途中の議論はすっ飛ばして、結婚をしていないこと、すなわち独身でいることがある種の負の外部性が生ずるような性質と相関している、と仮定してみよう。乱暴な議論だが、土曜日の昼下がりに一人で(やや)ハイエンドな中華料理屋で食事をしているのは、少なくとも半数以上は独身者であるのに違いない。なぜ彼ら、彼女らは独身なのだろうか。独身でいる理由と負の外部性との間に何らかの関係性があるはずだ、というのが今回の仮説である。

日本では、国立社会保障・人口問題研究所という厚生労働省の関係団体が「独身者調査」という(恐ろしい)調査を行っている。この調査は大雑把に言うと「若者が結婚して子供を作らないことが原因で日本は高齢化社会に向かっているんだから、そうなっている理由を先ずは調査し、対策を考えよう」という趣旨で行われている。調査は主に18~34歳の未婚者を対象とした定量調査という体裁になっている。このことからもわかるように、この独身者調査は決して独身者全体を対象とした調査ではない。しかし大事なことは、この調査がかなりの長期間にわたって定期的に行われているということである。したがって、時系列的な変化を追ってゆけば、かつての若者であった今の高齢独身者がなぜ独身であることを選択したのかということを考えるヒントになってくれる可能性があるのである(ここでも我々は、今でも独身であることを選んでいる高齢者はかつて若かりし頃にも独身であることを選び取っているはずだという乱暴な仮説を置いている)。

図表I-1-6は18~34歳の未婚男女が「結婚の利点」であるとして考えている要素を時系列的に表現している。ここで見られるパターンとしては以下のようなものがあるだろう。
  • 「精神的安らぎの場が得られる」と「愛情を感じている人と暮らせる」といったようなエモーショナルなメリットを感じている調査対象者は減少傾向にあり、「自分の子どもや家族をもてる」や女性の「経済的に余裕がもてる」というファンクショナルなメリットを感じている調査対象者は増加傾向にある。
  • 「経済的な余裕がもてる」という項目では女性には著しい増加傾向が見られるのに対し、男性は低く維持されており、このことは結婚という制度に由来する経済的な相互依存度の性差が拡大して行っていることを示している。
  • 逆のパターンが見られるのが「愛情を感じている人と暮らせる」であり、もともとは女性が男性より高かったものが、最近では値が近づいてきている。
気を付けなければならないのは、これは結婚をしていない男女に結婚についてどう思うかということを聞いた結果であるために、当然結婚を経験してから感じたことを述べているわけでないということである。ここから見えてくるのは、年配の未婚者にとって結婚とはよりエモーショナルなものであって、逆に言うとファンクショナルな理由から結婚を選ぶという必要性が、今のいわゆる「結婚適齢期(この言葉は個人的にはおかしいと思っているのであえて鍵括弧をつけている)」の未婚者ほどにはないのではないか、と仮定できるということである。

一方、図I-1-8は、同じく18~34歳の未婚男女が今度は「独身生活の利点」であるとして考えている要素を時系列的に表現したものである。こちらは現在の自分の未婚者であるという状態についての経験に基づいたものであることが、先の図表とは大きく異なる点である。これについては、以下のような解釈が可能であろう。
  • 「行動や生き方が自由」であると感じている調査対象者が圧倒的に多く、またそれ以外の要素と比べても極めて多い。
  • 一般的には「結婚の利点」に比べて、時系列的に変動の傾向があまり見られない。
  • 「広い友人関係を保ちやすい」「異性との交際が自由」という結婚以外の人間関係に対する指向性に減少傾向が見られる。

更に図表I-1-7の「未婚者の独身生活の利点」に関する考えの情報を見てみよう。ここから言えそうなことは、

  • 独身生活に利点があると考えている未婚者は男女とも高い割合を維持している。


したがって、過去も未来も、つまり世代にわたって、未婚者は自分が未婚であることを概ね肯定しており、かつその理由は圧倒的に行動や生き方が自由であることによっているということなのである。これらの結果を実社会に大胆に当てはめてみるとこういうことが言えるかもしれない。
  • 日本の社会には、世代を超えて一定数、自由を求めて独身で居続ける、もしくは少なくとも居続けたいと思っている人がいる。
  • 若い世代の未婚者は子供や家族を持つことや、経済的な余裕といったようなファンクショナルな目標を達成するのであれば、自由を捨てて結婚をせざるを得ないというトレードオフを認識している可能性がある。特に若い女性には経済的な余裕を求めて自分の自由をあきらめようとする傾向があるようにも見える。
  • 高齢の未婚者は(おそらく若い世代に比べて裕福であるために)そのようなファンクショナルな必要性を求めておらず、結婚生活とはエモーショナルなものであると考えており、(自分と違って)結婚をしている人はファンクショナルな必要性ではなく、精神的依存性を求めて結婚しているのではないかと考えている可能性がある。

つまり、若い世代で結婚している人の中にはいわば経済的な必要性に従って止むを得ず結婚しているように見える人もいる一方で、高齢の独身者はいわば「自由を勝ち取っている勝者」として自分を見ている可能性がある。そうだとすると、ある土曜の昼下がりの「梅蘭」の60代の男性がとった行動は、世の中のことを分かっていないが故に、だらしない若者の店員に対して教えを垂れてやっているとの立場からのものである、と考えることもできる。

いずれにせよ迷惑な話なのだが、世代間にこういう傾向があるということを把握しておくと、自分の行動も一般的にはそういう世代による影響を受ける可能性があるということを認識しながら行動できるのかもしれない。

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