Sunday, December 30, 2012

日本の核燃料;Nuclear fuel in Japan (Jp)

自分が生まれ育ったところ以外のところで生活をすると、もとのところで起こっていることを客観的に見ることができるようになる。居心地のいいところにばかりずっと住んでいると、近視眼的になってきてしまう。震災の時にはまだ東京に住んでいたのだが、そこで感じたこととして、震災が起こったまさにその瞬間からいろいろなことが隠されるようになってきたということだ。マスコミは福島第一原発で実際に何が起こっているのかということを正確には伝えなかったし、政府もそうだった。なので、情報の大部分はCNNから入手していた。CNNの名物キャスターであるAnderson Cooperが地震発生から24時間以内に震災現場に駆けつけたことに非常に驚き、感銘を受けたのを覚えている。彼自身も誠実だったし、彼がインタビューした人に対しても誠実さを求めていた。いずれにせよ、今自分は日本で起こっている原発関連のことも、客観的に見ることができる視座に立っている。そこで、Bloombergに掲載されていたこんな記事をご紹介したい。

行き場を失った日本のプルトニウム在庫

興味深い。日本は八方塞がりの状況にあるということが説明されている。要点をまとめてみたのでご覧頂きたい。
三日月形の島である本州の文字通り北端にある六ヶ所村には原子力関連複合施設がある。ここにあるいわゆる再処理施設はまだ建設途中であるが、国内の原発から集められてくる放射性廃棄物の中からウランとプルトニウムPuを抽出することを目的として作られている。現在はまだ商業運転を行っていないにもかかわらず、既に3,000トンに及ぶ放射性廃棄物が、敷地内で再処理されるのを待っている。再処理施設建造は着手してから既に30年が経っているが、施設側は2014年には本格稼動を開始するとしている。

限りある資源を最大限利用し、廃棄物をなるべく少なくしようとする試みは、日本の人口密度や資源の海外依存の状況を考慮しても意義のあるところである。問題は再処理の段階で生じるPuで、既に日本国内だけでも160トンに及ぶPuが蓄積されており、日本が燃料としてのPu使用を断念せざるを得ない場合には、核兵器を製造するのに十分すぎる量であるためにアメリカにとって深刻な懸念材料となっている。現在、Puの燃料として使用を難しくしている二つの問題がある。
  1. Puを含む核燃料を使用することができる原子炉の開発の技術的な失敗;一般的な軽水炉型の原子炉ではPuの燃料としての使用に限界がある。日本はこれまでいわゆる高速増殖炉の建設を試みていた。これはPu燃料を使用できるばかりでなく、燃料として使用している過程でさらにPuを生じてくるというものであり、日本は半世紀にわたってこの高速増殖炉の研究開発を推し進めてきたのだが、この技術は世界のどこでもいまだに商業運転が可能な段階まで辿り着いていない。「もんじゅ」プロジェクトは1995年と2010年とに起こった事故の為に現在は事実上凍結されている。
  2. 原子力発電関連の建設活動に対する国民の反対:仮に高速増殖炉が近い将来に実現しなくても、Pu燃料を元に発電を行うことは可能であるが、それには特別な施設が必要である。六ヶ所村近傍の大間にはそれが可能な原子炉が別途建設中であったが、国民感情を背景に現在は建設が止まっている。
そんなわけでPuを含んでいる放射性廃棄物は六ヶ所村に集積されているものの、行き場がないのである。計画は全体として行き詰まっており、いわゆる「トイレの付いていないアパートを建設」してしまった。そしてアメリカのPuの行き場に関する不安は増すばかりである。

果たしてこの事実は日本国民によって正しく理解されているのだろうか。こういう長期的な判断に関する課題は、短期的な利益が注目されやすい選挙という制度には向いていないように思うのだが。

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